苦しかった名古屋での生活
2022/05/03
こんにちは、花ゆこです。
昨日の続きを綴っていこうと思います。
2003年、私は結婚を機に家を出て、それから2つおきの長女長男次女の三人の子供の母親になりました。
そして、旦那の転勤で愛知県名古屋市に住むことになりました。
地元から離れて知り合いも友だちもいない。旦那も仕事が忙しく帰ってくるのは22時過ぎ、旦那の両親も浜松にいるので、頼れない。そんな中で一生懸命に三人の子育て。ほぼワンオペ状態。
家にこもってばかりではだめだと、子育て支援の集まりや、公園にお散歩に行くのですが、どうしても馴染めない…。っていうか、もうみんな地元の人達でグループができていて、そこに入っていけない雰囲気がすごくあって…。尚且、子供がやんちゃすぎて迷惑をかけてしまったりで、とても肩身が狭く感じました。
(あとから聞いた話ですが、名古屋の人って地元から離れる人が少なくて、保守的で閉鎖的な傾向があるらしですね。そうじゃない方ももちろんおられると思いますが、どおりで…。)
そこに輪をかけて、うちの旦那さんが仕事のストレスを家庭に持ち込むようになってきてしまいました。
本人はその意識が全く無く、「躾」と表して、子供をげんこつしたり、つねったり、閉じ込めたり、外に締め出したり。。。
いや、当時2~3歳ですよ。そのくらいの子に「食べ方が汚い」とか「こぼすな」とか「ちゃんと片付けろ」とか「うるさい」とか言って、鈍い音がするくらいのげんこつで殴る、あとが残るくらいつねるですから…。
でも、家にこもって子どもたちとずっと向き合って、旦那が帰ってくると、旦那が怒らないように気遣って子どもたちを大人しくさせながら御飯作って家事してってやってるとさ、私も人間ですから、色々溜まってくるわけです…。そうするとね、やっちゃうわけですよ私も。子どもたちに。。。。
「叱る」ではなく、「怒り」をぶつけてしまう。感情のタガが外れ、怒りに任せて怒鳴る叩く引っ張る………。
今、中2になった長男に未だに言われます。「母、俺が2歳か3歳の時に、一回俺のことホウキで叩いて、俺、おでこから血が出たよね、その後、玄関から追い出そうとしたよね」って。。。。「あの時、めっちゃ怖かった」って。
これを書きながらも、涙が止まらなくなるほど、あの時は本当に悪いことをしたなって後悔してます。
でも、その血が出た長男のおでこを見て、私は我に返れました。「このままじゃいけない」って。
それから、私は、子育て支援の虐待相談にも何度も行きました。けれども、「お父さんも仕事が大変なのねー」「お子さん元気そうだから大丈夫よ~」「そう、辛かったわね、、また何かあったら話に来てね」ぐらいしか言われませんでした。
のれんに腕押し??子供三人連れて大変な思いをして相談に行ったのに意味ないじゃん!!「え?私が大げさなだけなの??」
そう思った私は、自分でネットや本で虐待に対して調べ始めました。
「旦那は子どもたちを嫌いじゃないはずなのに、なんで手が出るんだろう??」
「加減をしらないのはなんでだろう??」「なんで怒りに任せて手が出ている自覚がないんだろう??」
「これって私が過剰反応しているだけなの??」そんなことを感じながら、一生懸命理解しようとしました。
そして、なんとか旦那を変えようと思って、あれやこれや、こんこんと話したりしましたが、だめでした。
もーーーーーーーーーーお手上げだわ。この子達がこのまま思春期になったら、どんなふうになるか、旦那は逆にバットで殴られて死ぬんじゃないか?なんて不安を感じながら、私は子どもたちを旦那の手から守ることしかできないもどかしさを感じ、『離婚』しかないんじゃないかと思うようになりました。
ただ、三人の幼子を抱えての離婚…。専業主婦で、パートも雇ってもらえるかわからない。経済的な理由で悩む日々。自宅で内職??いやいやいや、一個何銭とかの世界だし。だったら工場勤務のほうが時給1000円いけるし。でも、工場はフルタイムだから、いまの生活では無理だ……なんて考える日々。
私、新婚当初、共働きで家庭と仕事の両立ができなくて、一時期心の病にかかってたことがあるんです。
まあ、その時も、あまりにも人任せな旦那の世話と、仕事で管理職っぽい役職に昇進して新人を教育する立場だったというのが重なり、知らぬ間に蕁麻疹や頭痛や自殺願望が出てきちゃって、仕事の方を休職&退職したんですけどね。(その時に旦那を選ばずに、仕事を選んでおけばよかった~👻冗談ですwww)
だからこそ、幼い子供三人抱えて仕事するってことに抵抗を感じてしまっていました。
そんな、悶々とした日々を過ごしていた時。フェイスブック上だけで交流があったお友達が、岐阜でコラボイベントをするからおいでよ!と、グルテンフリーのおやつ試食会に誘ってくれました。
引っ越してから、ストレス発散するためにエクササイズに子連れで行ったり、とにかく外に出たい!という気持ちから、ベビーカーを押しながらランニングしたり、マラソン大会に出たりしていた(今思えば、長距離走りながら動の瞑想状態を無意識に作って平常を保とうとしてたのかも)のですが、そのつながりのお友達でした。
引っ越してからランニング以外でお友達に会いに行くということも少なく、ずっと家に引きこもっていた私は、「これは絶対にいきたい!!」と旦那に頼み込んで、連れて行ってもらいました。
その頃は、子どもたちも小学生になり、ある程度私がいなくても旦那と留守番できるようになっていました。
そして、これが私の人生の第一の転機になりました。
さて、今日も長くなったので、このへんで。
次回に続きます。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
今日も人生すべてうまくいっている。よきも悪きも最高最善の未来へ。
ありがとうございます。