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      花ゆこの生い立ち
      2022/05/02
      私は静岡県三島市で、『戦後の何でも修理屋さん』から『電気部品の製造の工場』にまで大きくした祖父から二代目を継いだ父と建具屋さんの娘の母のもとに三人兄弟の長女として産まれました。
      パート従業員も10名くらいいて、大人に囲まれながら、可愛がられながら育ちました。
      そのせいか、妙に大人びた性格をしていました。

      小さい頃から聞き分けの良い静かな子で、いつも祖父から離れずに一緒に遊んでもらっていたそうです。自分自身の記憶でも、祖父がしている仕事の作業や、機械の動きをじっと見ているのが好きなそんな子でした。

      祖父の足の指が無くて、「戦争でなくなっちゃったんだよ」と教えてもらったことが、今でも鮮明に思い出せます。

      私自身も物作りが好きで、幼稚園のときには、工作コーナーが大好き♪
      逆に、同年代のこと遊ぶのが苦手で、いつも工作コーナーで一人で遊んでいたので、幼稚園の先生が心配していたということを、母から小6の「生い立ちの記録」の宿題のときに聞かされました。

      物作りが好きなのは、大人になった今でも変わらず、手作りのアクセサリーやストラップなどを作りはじめたら、時間を忘れて没頭してしまいます👻

      祖母も同居していました。
      祖母は天理教の信者さんで、家には大きな天理教の神棚があって、定期的に天理教の人が集まって、おつとめをしてました。
      私も弟妹もおつとめをやらされましたが、当時はよくわからずに、大人の集まりにソワソワしながら参加していました。夏休みのおぢばがえりにも参加したり、教会のお泊り会にも参加した記憶があります。(今は神棚もお返しして、宗教は一切やっておりません)

      祖母は、私が怪我や腹痛を起こした時は、一生懸命に親様(天理教の教祖様)からのお下がりを飲ませてくれたり、おつとめでやっている「はらいづとめ」をして祓ってくれようと一生懸命してくれました。
      もちろん、道徳のお話もたくさんしてくれ、道徳については厳しい祖母でした。当時は、(いちいちうるさいなぁ)と感じていましたが、今となっては感謝しています👻

      反面、父も母も無宗教派で、特におつとめも参加してませんでしたが、それでも祖母も父母もお互いに何も言わずに、中庸を保っていた感じです。私が、宗教や物事に対して中庸でいられるのは、そんな両親と祖母の関係を見て育ったからなのかもしれません。

      年齢が大きくなるにつれて、私にも自我が芽生え、だんだんと天理教からは離れていきました。
      祖母も体を壊し、入院するようになり、定期的なおつとめの集まりもなくなり、祖母が亡くなったあとは、大きな神棚だけが残りました。それでも、母が「一応神棚だから」と物置にはせずに正月には鏡餅をお供えしたりしていました。

      そんな風に育ったので、神様は私にとっては身近な存在でした。
      不思議なこと大好き、おまじないも大好き、将来の夢は魔法使いでした。
      中学生の時に、テストの点が良くなるおまじないの魔方陣を答案用紙に書いて、消さずにそのまま提出してしまい、先生にクラスみんなの前でなじられて凄く恥ずかしく嫌な思いをした経験がありますwww

      そんな風な子なので、占いにも興味があり、初めてのバイトのお給料で通販の水晶の勾玉ネックレスを買ったり、ムーンストーンの指輪を買ったり、タロットカードを買っていました。
      タロット占いを始めたのもタロットカードを手に入れた、高校の時からです。
      お友達を占っていました。

      ですが、高校3年生の時に、当時付き合っていた彼氏の受験の不合格を当ててしまい、そのまま関係が気まずくなりお別れしたのを機に、占いを封印しました。

      田舎だったのと、時代が「占い師」という職業にまだまだ偏見があった時代でしたから、私も子供時代の思い出として封印して、普通に就職しました。

      やがて、私も大人になり、結婚をして家を出て、2つおきの長女長男次女の三人の子供の母親になりました。

      そして、旦那の転勤で愛知県名古屋市に住むことになりました。

      さて、なんだか長くなってしまったので、今日はこのへんで。
      次回に続きます。

      ここまで読んでくださってありがとうございました。

      今日も人生すべてうまくいっている。よきも悪きも最高最善の未来へ。
      ありがとうございます。
      花ゆこの生い立ち
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